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執筆者の写真Norio Tomita

映画の紹介⑦「大統領の執事の涙」

『自由の国アメリカ』


移民の国であるアメリカは、様々な文化や価値観が交錯した国でもあります。こうした中で抱える様々な問題をどう解決するか先人たちは頭を抱えてきたようです。


例えば哲学に関しても、アメリカは「プラグマティズム(実用主義)」という独自の思想を発展させました。この発想は心理学に関しては、「行動主義」に影響を与えたのですが、簡単に言えばいろんな価値観の中で正義を考えるとき、「使ってみて価値のあるものが正しい」という考え方を採用し、どの人種や思想にも偏ることがないよう工夫したのではないかとも考えることができます。


しかしアメリカといえば、黒人やヒスパニック系に対する人種差別が過去から現代に至るまで根強い問題として残っている状況でもあります。今回の映画は、こうした人種差別を背景に、ある一人の黒人男性の人生にスポットを当てた映画です。


アメリカの南部で生まれた主人公(セシル)は、父親が働いていた農場の地主に殺され、母親も搾取の末に精神的に荒廃するという不幸の中で育ちました。やがて彼は青年となり独り立ちを図るのですが、当時のアメリカ南部は黒人には白人に雇われる農夫以外の仕事がほとんどなく窮地に陥りました。


しかしそんな中で、彼は給仕(ハウスニガー)の仕事を得ることができました。またそこでは「白人用の顔と自分の顔を持て」と教育され、仕事に邁進します。やがて卓越したサービングの技術と政治的思想は持たないという心情(白人とのトラブルを回避する手段)を買われ、幸運にもホワイトハウスの執事の職を得るようになります。安定した職を得たセシルは、ワシントンで家を持ち家族も得ることができました。


しかし彼の息子(長男)が大学生になると、当時盛んだった公民権運動に興味を持つようになり、キング牧師の活動に参加するようになります。その噂はホワイトハウスの同僚や大統領も知ることとなり、セシルには職を失う危機が迫ります。しかし、南部の当運動に対する否定的な雰囲気はホワイトハウスでは若干和らいでもいて、首の皮一枚つながる形で仕事を続けることができました。ただその一方で、長男とは意見がぶつかり合い(息子には父親が白人に媚びて生活する存在に写った)、長い間距離を置く関係にもなりました。


そんな中で時代の背景も映し出していますが、彼の次男はベトナム戦争に参加し、戦死をしてしまいました(国のために戦う戦場では差別がない事を次男は誇らしげに語っていました)。この事を受け、セシルは自分のアイデンティティとしてプライドを持って働いてきた執事の仕事に急に打ち込めなくなります。そして執事の仕事を辞めてしまうのです...


この物語、心理学的に興味を持たされるのは、セシルの成功の裏には、彼の白人に対する強い感情(父親や母親を破壊した恨み)とその抑圧があった点です。白人に仕える執事の仕事には、「白人用の顔と自分の顔を持つ(使い分ける)」事が重要でした。しかし、いつの間にかセシルは「白人用の顔」のみで生きるようになっていました。その事によって成功や富、名誉を得ることにもなりましたが、彼の息子が、ユング心理学で言う「シャドー(影)」として立ちはだかります(=抑圧に疑問を与え、自己存在を揺るがす存在)。かれは息子を理解しようとしなだめようともしますが、結局は限界を迎え、息子を遠ざけることで一旦決着をつけます。しかしレーガンのアパルトヘイトへの支持表明を聞き、自己矛盾を感じて仕事に対する意欲が急激に落ちるという、心理的不調(うつ状態)を経験します。そして仕事を辞め、息子と和解するのです(公民権運動に共に参加する)。


息子との和解については、単なる和解以上の意味が含まれているように感じます。セシルには過去の重大な出来事を背景とした自分の感情の抑圧がありました。その感情との和解もあったのだと思います。本当は白人を恨んでいたという気持ちを認めること。その事によって、偽りの自己を生きることから開放され、自己実現を考えるようになっていったのだと思います。


『自由の国アメリカ』という矛盾の中で、人々は葛藤し、理不尽を生き、自分を生きるという「こころの昇華」を経験している人達もいる。この映画はそんなヒューマンストーリーが描かれていたように感じました。


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