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執筆者の写真Norio Tomita

『能』の世界

今回は、能楽師の安田登さんをゲストに招いたお話をご紹介したいと思います。



前半は、安田さんの論語に関する著書の一部を解説したお話の内容で、後半で『能』の話が聞けます。


日本の伝統芸能である『能』ですが、実際じっくり見た経験がある人は少ないのではないでしょうか。今から約650年前の室町時代に「世阿弥」を中心として発展した演劇なのですが、演目には源氏物語や昔の和歌などをベースに物語が作成されていたり、また「現代能」などの”新作”も大く作られ発展しています。


実際『能』を見ていると、言葉は古語で内容がわかりにくく、テンポがスローだったりするので眠くなってしまうことこの上ないのですが、しかしこの芸能の背景を知ると心の専門家としては俄然興味を持たずにはいられなくなるわけです。


安田さんは、登場人物の説明を通して『能』について以下のようなことを話されています。


能には2人の登場人物がある。 「シテ」と「ワキ」 シテは主人公。 わきは脇役でじゃなくて、主人公の相手役。 能のストーリーは、旅人である「ワキ」が、亡霊や神様、草木・動物の精、つまりは”この世ならざる者(「シテ」)”に出会うの物語。 ①「ワキ」は見えないもものをわからせる、仲介者的な役割。

②私達が住むこの世と幽霊が住むあの世の間が「ワキ」の住む世界(両方行き来できる人)で、ワキはシテの悩み(ワキは恨みがあって出てくるが本人は何を恨んで悩んでいるかよくわかってない)をちゃんと分けてあげる役割。


続けて安田さんは以下のようにも語ります。


能は見れば見るほど、能を見なくなる。能を通じて自分の内側を見るようになる。全然忘れていた昔の思い出、昔に見た夢、アイデア等が湧き出てくる。座禅の経験と似ているかも。


単に「能」はわかりにくく単調で眠くなる演劇ではないようです。私たちはわかりやすい世界に安住し、それ以外の世界は面倒くさいので近づかないようなことになることが多いのですが、そうしたわかりやすさはこころの表層的な部分しか使わない生き方になっていて、もったいない人生になってしまうのではないでしょうか。安田さんの話を伺うと、一見「意味がない」という世界の中に、私たちの心を豊かにする宝物が転がっているのかもしれないと思わせてくれます。


それは『能』の世界にもあるようで、心の未知の部分を拡げて豊かにするという効果があるのでしょうか?。


私もまだその点に関しては素人なので、『能』の魅力を今後も追いかけていきたいとも考えております。


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