「発達障害」が近年の精神科の対象疾患の中でも大きな地位を得るようになってきています。また小中学校では、問題のある子のほとんどに「発達障害」という理解を当てはめるようになってきてもいて、過剰診断の問題も指摘されています。
この増加の理由については、実際に発達障害が増えているのか、それとも関心が向けられるようになって発見されやすくなっているのか、よく議論の的にもなってもいます。
その点を理解する一つの見方について、社会学者の宮台真司先生が、精神分析(特にラカン派)の理論と「被害妄想」をキーワードにして、以下の動画の中で現代の時代背景からこの問題に迫っていらっしゃいます。
※この議論自体は、2017年のアメリカ大統領トランプの当選を受けて、時代理解を考えていく内容となっている。
まず先生は「精神分析の世界では、『神経症の時代から、精神病(統合失調症)の時代を経て、いま自閉症の時代になった』と議論されている」と語り話題に切り込みます(以下逐語記録)。
『神経症の時代』;社会適応して人とやっていくために、自分の欲望を部分的なものに極限し、反復しなければいけない。規律訓練しないと社会に適応できないし、人とやっていけない。
『精神病の時代』;共同体がバラけることによって、妄想の共有可能性を信頼できなくなることからくる、被害妄想が蔓延する時代。こういう時代には、すでにバラけている共同体ゆえの、ある種被害妄想が強化される条件もわかっていて、無理やり集団行動させるとか、無理やり人と付き合わせるとかすると、被害妄想が益々強化される。伝統主義は、伝統の解体の埋め合わせであり、共同体主義は、共同体の解体の埋め合わせである。この埋め合わせの向きが忠実であればあるほど、インセンティブであればあるほど、精神病の症状の悪化を生む。
『自閉症の時代』;SNS、インターネット、各自がスマホとか携帯情報ツールで、アキバ系だったりとかウヨ豚系だったり、勝手なコンテンツにアクセスして、勝手な妄想たくましくしている。でも人と人とのコミュニケーションは、対面では存在しないし、空間的なトゥギャザネスも事実上存在しない。存在しないとしてもお互いの妄想は全くわからない状態で、ディスコネクトされているから、両立するんです。このイメージは、映画マトリックスを思い出してください。コクーンの中に、各身体が入っている。でプラグインされた状態で、栄養と情報が与えられていく。しかし各人がどういう妄想を見るのかは、各人ごと勝手なんです。で、今はそういう情報になっているから、状況になっているから、かつては世界と両立不可能な被害妄想を抱いていたとしても、大丈夫なんですよ。
もちろんすべての人間が情報端末にアクセスして、自分勝手な妄想の世界に引きこもるわけはないので、精神病の時代と、自閉症の時代というのは、事実上完全にくっきり分け隔てされるものではなくて、程度問題で推移していくだけのことではあるけども、その事で言えば各自がSNSなどのタコツボ的な情報ツールを使って、仮想空間、あるいは仮想現実であろうが、拡張現実であろうが、カッコつきの真の現実であろうが、勝手に好きなように妄想し、享受するという時代にすでになっている。
トランプ現象に象徴される問題は、妄想の共有可能性が難しくなった現代において。カール・シュミットの言う『友敵図式(「あいつは敵だ」と敵を共有する共同体の図式)』がほぼ唯一妄想を共有する有効な手段になる。ある種の被害妄想の共有ということになる。...
次回に続く。
※ちなみに厳格には「自閉症(現、自閉症スペクトラム症)」は、「発達障害」の一つと考えられていて、「発達障害」には「ADHD」「自閉症スペクトラム症」「LD(学習障害)」などが含まれています。
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